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タレントの有吉弘行さんが、「仕事が全くない」時代に、レギューターだったRCC(中国放送)に恩返し! [エンタメ]

有吉の地元・広島RCCのバラエティー番組「KEN-JIN」

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デビューから間もない時期に月収2000万円を稼ぎ出しながら

「地獄」と表現するほどの低迷期を経て、今では司会者として

揺るぎないポジションをつかみ取ったタレントの有吉弘行(41)。“

どん底”時代唯一のレギュラー番組でプロデューサーを務めていた

RCC(中国放送)の延末健治氏に当時の話を聞いた。


有吉は1996年、日本テレビ「進め!電波少年」の

ヒッチハイク企画でブレーク。

本やCDが大ヒットするなど国民的人気を集めたものの、

下り坂を転げ落ちるように人気は急落。

再び日の目を見るまで約10年、雌伏の時があった。


その期間を「仕事が全くない」「地獄」だと有吉は

再ブレーク後によく振り返っていたが、この低迷期でも

ずっと有吉をレギュラー起用し続けたのが、

有吉の地元・広島RCCのバラエティー番組「KEN-JIN」だ。


「KEN-JIN」は97年4月から2005年4月まで放送された

深夜のバラエティー番組で、深夜0時台、1時台の放送ながら

平均視聴率は6%台、クリスマススペシャルは

9・8%をマークしたこともあった。

「海に出演者が落とされたり、今だったらコンプライアンス的に

考えられない内容が多かった」と延末氏は当時を振り返る。


有吉もご多分に漏れず、今では考えられないような企画に

体当たりで臨んだ。

洗車機に車ととも入り、猛烈なジェット水流を浴び「これテストした?

頭つぶれそうだったよ」と悲鳴を上げたこともあった。

さらにギャラはローカル局の深夜番組としても

異例の1本3万円という低額。

現在のギャラと比べれば数十分の1だろう。

それでも有吉は「仕事がない時代に

バラエティーができたことはありがたかった」と話しているという。


有吉の仕事が次々となくなっていった時期でも降板させなかったのは、

企画立案を担当したRCCの横山雄二アナウンサーが

「次から次へと(出演者を)替えるのはやめよう」という

考えを持っていたから。

延末氏は鮮やかな復活を遂げた有吉を見て

「僕らじゃ(再ブレークは)分からなかった。

カッコつけようとすれば『絶対また売れると思っていた』と

言いたいところなんですけど。

でも『KEN-JIN』は(有吉が再ブレークする前に)

終わっちゃいましたしね。

何があるか分からないなって思います」としみじみ語った。

続きを読む⇒◆ コチラ

ヤフーニュース引用

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こんばんわ。

有吉 弘行さんといえば、今や司会者として

その地位を、確率していますなあ。

凄い人気ですw。

毒舌に、差遣の人がならされています。

でも、本当に面白いからこそ

人気があるのだと思いますなあ。

これからも、楽しませてください。

かみなりもん親父


有吉 弘行
本名 有吉 弘行
生年月日 1974年5月31日(41歳)
出身地 日本の旗 日本・広島県安芸郡
血液型 A型[1]
身長 172cm[1]
方言 なし(共通語)
最終学歴 広島県立熊野高等学校
師匠 オール巨人(破門)
コンビ名 猿岩石(1994年 - 2004年)
相方 森脇和成(元・相方)
芸風 毒舌芸、イジり芸、モノマネ芸
事務所 太田プロダクション
活動時期 1992年 -
同期 劇団ひとり
ビビる大木
ふかわりょう など
現在の代表番組 レギュラー番組
有吉AKB共和国
マツコ&有吉の怒り新党
有吉ジャポン
有吉反省会
有吉ゼミ
有吉弘行のダレトク!?
櫻井有吉アブナイ夜会
おーい!ひろいき村
ほか
スペシャル番組
有吉の夏休み
ほか
過去の代表番組 AKB48ネ申テレビ
崖っぷち〜アラビアンサイトFEVER〜
爆問パワフルフェイス!
スター☆ドラフト会議
もてもてナインティナイン
ひろいきの
ほか
配偶者  未婚
公式サイト 太田プロダクション 公式ホームページ
受賞歴
猿岩石として受賞したものは当該項目を参照。

ウィキペディア


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